
女性って…自分の身体の中で子どもを育てて…
死ぬ様な想いをして産む…
赤ちゃんを産まない選択もあるけれど…
「産んだ」と言う事だけでも母親の愛情と言うのは在ると思う。
我が子の声を聞いて…「あ、無事に産まれたんだ…」って感激する。
現実味がなくて夢の中の出来事みたいだったと言う感想もあるけれど…
とにかく我が子に対する愛情が在るから、子どもを産む。
でも…子どもを育てると言う事はとても大変な事で…
日々の些事で子育ての大変さに大切な事を見失う事もある…
母の思い出…と言えば「かわいげがない子」と呼んでしかめっ面をしていた母の顔…
そういう友だちが…私の絵を見て感想を送ってくれました…
(詳細は前編)
___________________
優等生だった姉に対して落ち着きもなければ協調性もないいわゆる「いい子」「育てやすい子」と呼ばれる枠からはかなり外れたところにいる私をなんとか「普通」の枠
に収めようとすることで面倒ないざこざを回避させようと、あえて厳しくしていたのだということが…自分が母親になってわかるのですが、そのときはそう思えず、思春期に入っていじめにあい、気持ちがかなりすさんでいる頃と前後して家庭の事情や更年期障害でうつ病になって自死した母を「死ぬことで逃げた」と恨み、自分が母親になったら少なくとも自分の子供は世界中の人間が自分を嫌いになっても親だけは愛を注いでくれると思えるようにしようとずっと思いつづけていました。
だから仕事より何より、自分は家庭を優先するんだと思っていました。
けれども結婚し、子供が生まれての初めての子育ては全くそれとは違うものでした。
子育てにおける肉体的精神的苦労は育児雑誌などに山ほど載っているので割愛します
が、(たいていそのどれもが当てはまるものです)何より自分にこたえたのは初めて
の子供である上の娘が自分にあまりにも似ていたことです。
なんとか自分のようないじめにあったりしないようにと、性格にコンプレックスがな
ければ(いまだに人付き合いは苦手です)目くじらを立てるようなことではない些細
なことでもしつけと称して厳しく注意し、気が付けば朝から晩まで怒鳴り散らしていて時には手を上げるような(母は私に手を上げたことだけはありませんでした)母が
自分に対して取っていた態度よりはるかに厳しい母親になっていました。
愛情なんてどこに行ったのだろう、それでも自分を好きだといって抱きついてくる娘
を疲れているときは疎ましいとさえ思うような冷たい母親になぜなってしまったのだ
ろうとずっと自問自答しているときにふっと見たのがmikiちゃんの「母と子」の
絵でした。
その絵には目や鼻といったいわゆる顔のパーツがありませんでした。
(あるのかもしれませんが、例によって絵心のない私にはわからないんです。すみま
せん)
子供と一緒にソファに腰掛けている、その絵はいったいどういう表情をしている
のだろうとぼんやりと考えました。
これと同じポーズを私は娘と何度もとっている、一緒にテレビを見たり、絵本を
読んだり、あるいは何もせずにお互いの顔を見合ったり。
そのとき私と娘はどういう表情をしているのだろう。
振り返って、絵本だけはよく読んでくれた母と自分もこういうポーズをとってい
たことがあった。
そのとき母と私はどういう表情をしていたのだろう。
そう思いながら小さいパソコンの画面の中のその絵をずっと見ていました。
娘が眠っている早朝のことでした。
その朝は娘が起きたとき、少しだけ優しい母親になっていました。
(まぁ一時のことで、幼稚園に行く支度が遅いとすぐにガミガミ怒鳴りつけるい
つもの怖いお母さんになっていましたが…苦笑)
何度も言うように「良い絵」というものが何なのかいまだにわかりません。
ただ金銭的な価値、もしくは世間的な評価と絵の良し悪しは比例しない、このこ
とだけは言えると思います。
mikiちゃんもそのことは覚えておいて欲しいと思います。
これからも自分の納得できる絵を描きつづけてください。
であであ。
_____________________
このメールは私の中で宝物のヒトツです。
次回は、この「母と子」を描いた時のいきさつを紹介しようと思います。


